スピリチュアル

【3】スピリチュアルに目覚める人と目覚めない人の違い

スピリチュアルと聞くと霊とか占いとか何か目に見えない怪しいもののように思う人も多いと思う。

辞書で調べてみても精神的なあるいは霊的な意味として捉えられているようなのです。

中には「スピリチュアル」という言葉を聞いた途端に毛嫌いする人もいるけれど、そもそもスピリチュアルとは何なのか。

数々の不思議な体験と気づきを得て自分なりに辿り着いたスピリチュアルとは、目の前で起こる出来事に対して湧き上がる自分の感情を味わいながら、本来の自分を取り戻していく事ではないかと思います。

そしてその結果得られるスピリチュアルの本質とは、魂の成長過程で起こる全ての出来事の源流が愛によるものだと気づく事だと思います。

人は誰しも生まれた時には、スピリチュアルに目覚めた存在であるはずです。

成長して家の外に出るようになると、社会のルールに沿って生きなければならなくなり、育った環境や出会う人の影響、失敗や成功体験の蓄積などによって、少しずつ個々の人格が形成されていきます。

成長するにつれ、自分がしたい事としなければならない事の区別が、段々とつきにくくなってきて、自分でも気づかないうちに社会や親が求める他の誰かになろうと努力して、本来の自分から遠ざかってしまいます。

例えば、勉強したくて学校に行っているのに、クラスメイトとも仲良くしないといけなかったり、逆に学校には友達に会いたくて行っているのに、勉強や宿題をしないと怒られたりして、やりたい事とやらないといけない事の間で折り合いをつけることを学んでいきます。

学生時代はある程度同じ偏差値の人の集まりであっても、社会に出ると、家庭環境も学校も違って、様々なバックグラウンドの人と知り合う事になります。

そうすると、学生の頃よりも、大きく異なる価値観を持ち合わせた人が集まって、常識と常識がぶつかり合う現象が起きてきます。

その中で、スピリチュアルに目覚める人は、より自分に合った環境や生き方を見つけて行動していく事が出来るのではないかと思います。

ごく稀に、生まれた時からずっと無意識に自分らしく生きられる人もいるけれど、ほとんどの人は、スピリチュアルに目覚める前には、病気やDV、家族との確執、離婚や死別などのとても辛い経験を伴うようです。

人間というのは、放っておくと、惰性に流されやすい生き物だから、そのくらいショックな出来事が起きないと、変わろうとする努力が出来ないのかもしれませんね。

スピリチュアルに目覚めていない人は、目の前の問題と向き合えずに、ストレスの捌け口を探して他人の悪口を言ったり、お酒やセックスやドラッグに溺れたりして、一時しのぎの快楽で、なんとか問題をごまかそうとしてしまう傾向にあります。

しかしそれすらもスピリチュアルに目覚める為の過程であると思うのです。

スピリチュアルに目覚める人は、自分の内側と向き合う人で、スピリチュアルに目覚めていない人は、今はまだ本当の自分と向き合えていない人だとも言えるでしょう。

今はまだというのは、最終的には、誰しもスピリチュアルに目覚める時が来ると信じているからです。

その時期が少しでも早まって、より自分らしく楽に生きられる人が増えたらいいなと思います。

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